羽咋市の概要
羽咋市は、日本海に突出する石川県・能登半島の基部西側に位置しており、ほぼ中央に広がる邑知潟低地の平野部を囲んでいます。気多大社・妙成寺などの歴史的資源や、千里浜なぎさドライブウェイなど、海のレジャーを中心とする観光都市であり、空飛ぶ円盤目撃などの伝説が数多くあるUFO神話のまちでもあります。
市政においては、「まちづくり市民会議」で市民が積極的な議論を展開するなど、市民参加のシステムづくりを推進し、平成15年(2003年)には市のまちづくりの基本事項を定めた「まちづくり基本条例」を施行し、小学校・保育所・コミュニティ施設建設にも生かしています。
羽咋のあゆみ
羽咋には、縄文時代から人が住み始め、次第にムラがつくられていきました。このころは、まだ身分差のない共同体社会であったといわれています。当時を象徴する様々な出土品が発見されており、古墳時代につくられた滝大塚・柴垣一号墳・羽咋御陵山(ごりょうやま)古墳なども発見されています。このころ、石城別(いわきわけ)王が羽咋国造(くにのみやっこ)に任ぜられ、ハクイの王である能登外浦を支配し、出雲と交流しました。
養老2年(718年)に羽咋・能登・鳳至・珠洲で能登国となり、のちに国府が置かれました。承久3年(1221年)には、群が郷に分解し、羽咋正院が口能登の中心となりました。そして文明5年(1473年)には加賀一向一揆、永正2年(1505年)には能登の一向一揆が盛んになり、上杉謙信をはじめとする多くの武士が羽咋の地を治めました。その後の寛文11年(1671年)、羽喰(はくい)郡は羽咋郡に改められました。
明治4年(1871年)の廃藩置県により、金沢県・七尾県が成立し、翌年、県庁を美川に移し、石川県となりました。
明治20年(1887年)に羽咋村が羽咋町となり、羽咋登記所が郡役所内に設置されました。その4年後、郡制が施行され、羽咋郡となりました。大正14年(1925年)の能登鉄道の開通によって、羽咋は口能登の中心地に発展していきました。
昭和29年(1954年)羽咋町が5ヶ村を編入し、昭和33年(1958年)には市制を施行し、羽咋市が誕生しました。市制施行後は、公共施設の充実を図るなど、自然や文化を活かし、「物とこころ」を豊かにするとともに、調和のとれた住みよいまちづくりを進めています。
羽咋の名前の由来
遥かむかし、第11代・垂仁天皇のころ、滝崎に悪鳥が住み、領民を苦しめました。これを聞いた天皇は、皇子石衝別命(いわつきわけのみこと)を派遣し、皇子は首尾良く悪鳥を射落としました。このとき、皇子の3犬が悪鳥の羽を食い破ったことから「羽咋」の地名が起こったという説があります。
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羽咋市歴史民俗資料館 |
| 住所: |
〒925-0027
石川県羽咋市鶴多町鶴多田38-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0767-22-5998 |
| 開館時間: |
9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日: |
毎週月曜日、1月〜2月の祝日、12月28日〜1月4日 |
| 入館料: |
常設展示 大人100円(80円) 小・中学生50円(40円)
※毎週土曜日無料
※()内は20名以上の団体料金
※特別展示はその都度変更になります。
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